太平洋戦争で日本の礎になった方々について考えています。

 現在の日本の礎となった方々について
思い出の内に、故郷の小学校への通学路の左側に、大きな石碑があったことを思います。それは、大変気になっていました。しかしながら、故郷から千葉に移り住みましたが、となり部落の入り口付近にあった、同じような石碑があり、それは大東亜戦争で亡くなった方々の記念碑だったようです。今住んでいる成田で、縁あってお墓を、父と二人で建立しました。そこは、共同墓地ですが、その中のお墓を見て廻っているうちに、お墓の墓標名の他に、少し大きなお墓があり、そこに刻まれている文字に、旧日本軍の階級が刻まれていました。更に、墓地内を見て廻っているうちに、海軍、陸軍の階級を順に並べて見たくなり、墓地内で、海軍少佐一人、陸軍伍長四名、陸軍上等兵二名を見つけました。そして、第二の故郷の大きな石碑が気になり始め、そこへ行きました。しかし石碑は既に無く、近くの小さな山の頂上に移されていました。しかし、石碑は削られ、小さくなっていました。そこに陸軍準尉の文字を見つけた。驚くことに、その近くに陸軍上等兵の石碑がありました。そのことを知った時、新潟の故郷の子供の時見ていた石碑が気になりだし、直ぐに、新潟へ、車で帰省しました。そして、子供のころから気になっていた石碑に、陸軍中尉の文字を見つけ、その右側に、ちょっと小さな同じ形をした石碑があり、その中に、陸軍準尉の文字を見つけた。私は、何かを得たような気がした。そして、中学の同級生に会い、話していると、その部落に同じような石碑があることを話してくれた。そして再度訪問することを決意した。数日後、再度訪れ、従妹に会い、同級生に聞いていた石碑が、その部落にある、上下二カ所の墓地のいずれかにあることが分かった。そして、従妹にそれぞれの墓地に連れていてもらい、上の墓地の石碑に、陸軍上等兵、海軍三等兵曹の文字を見つけ、下の墓地の石碑に、陸軍兵長、陸軍伍長二人、そして上等兵の文字を見つけました。まとめると、旧日本海軍は、少佐、そして三等兵曹、旧日本陸軍には、中尉、準尉二名、兵長、伍長四名、上等兵四名の総計指揮官十五名となります。そして、後日、奇跡が起こり、私の先祖の墓のある墓地の上等兵の家族の方に出会い、近所の孫の通う中学に、記念碑があることを聞き、車で訪れました。校舎には、ブラスバンドの練習の音が響いていました。インターフォンを鳴らすと、音楽の顧問が出て、記念碑まで案内して頂き、「忠魂碑」を見つけました。花を手向ました。そして、その裏側に、多数の戦没者であろう名前が刻まれていました。西南戦争での戦没者1名、日露戦争での戦没者が4名、大東亜戦争での戦没者161名でした。先に調査した戦死者と合わせて総計、176名となりました。そして、その名を刻まれた方々が、祖国を守るため、また未来の日本を夢見て、たった一つしかない尊い命を散らしてゆきました。皆さん、今の日本の現状を見てください。あまりにも身勝手に過ごす、その世界を散っていた方々が望んでいたでしょうか?散って入った方々に、顔向けできる状態にあるでしょうか?尊い命をかけてまで守るに値するでしょうか?皆様方、散っていた方々の期待に添うよう、努力しようではありませんか・・・