アトランティス文明について考えました。その2

アトランティスについて 補足
アトランティスの名の由来は、ギリシャ神話のアトラスの娘から来たものです。アトラスは巨大な神で、ゼウスとの戦いに敗れ、地球を背負うという苦役を課されています。アトランティス大陸の存在は、ギリシャの哲学者
プラトンにより提唱され、現代まで様々な議論がなされています。その大陸は、大西洋に存在していたようです。アトランティス文明は、A.C12,000 年頃滅亡したようなので、文明の発祥は、A.C20,000 年頃からなのではないでしょうか?ホモ・サピエンスが表れ始めたのは、16 万年±4 万年と言われていますので、その頃から人類は急激に知能などを進化させ、現代人と変わらなくなっていたのではないでしょうか?そして、アトランティス大陸では、「神」の概念が生まれたと思います。「神」とは「現世紀」で記したように、ネアンデ ルタール人に遺伝子組み換えを施した「ターザンⅸ」の人々のことではないでしょうか?アトランティス大陸の人々は、「神」の指導により、現代の文明を遥かに凌ぐ文明の中にいました。しかしながら、地球の大地の動きで徐々に海中深く沈みました。この事態は「旧約聖書」のノアの洪水の記述になったようです。
そして、生き残った人々は、ユーラシア大陸に渡り、現在の歴史にある文明の礎となったのではないでしょうか?この「神」つまり「ターザンⅸ」の人々と別グループが「ムー大陸」それは、太平洋にあったとされています
アトランティス大陸の文明と同じ優れた文明を築き、アトランティス大陸と同じように、海に沈み、生き残った人々は、ユーラシア大陸の西端つまり日本列島側に辿り着き文明を育んでいったのではないでしょうか?「ム
ー大陸」の災害は、「アトランティス大陸」の災害より早かったような気がします。

アトランティス文明について考えました。

アトランティスについて
古代ギリシャプラトンアトランティス大陸についての著書にアトランティス大陸が一夜にして海の底に沈んだとの記述があるが、実際には6日間ほどかかっているのではないかと予想している。また、大陸の位置は、現在は、人工衛星により精密に観測されつつあるようだ。また、1万2千年前に、アトランティスには高度に進んだ文明があったようだ。そしてそれらが、川のある地帯に伝わり、四大文明になったのではないかと思われる。なぜかと言うと、四大文明にはあまりにも共通した点があることに気づかないだろうか?例えば、天文学、気象学、農耕、建築物など・・・
ナスカの地上絵から、すでに高空を飛行する物体があったと思えないだろうか?ピラミッドを構成する大きな石をどうやって積み上げたか?すでに高度な機械があったと推測できないだろうか?
高度な文明を作っていった人々は、奢り昂り、神、つまりオリオナエの怒りに触れ、海底深く沈んでしまったのではないだろうか?旧約聖書の記述にあるあのノアの箱舟の大洪水や、またソドムやゴラムの火山の噴火などの記述なども神の怒り触れたことによる事実ではないだろうか?神は人類に苦しみしか与えない。何故か?それは、神が人類に「心」を持ってくれと諭されているのです。だが、人類はおろかにも退化してしまい、現状の世界の中に入るので、皆様の「心」が成長し、1万2千年前の文明より、はるかに優秀な文明を築くことを願っているのです。

社会的弱者について考えました。

社会に言われている発達障害について
発達障害には、ADHD,ASD,自閉症スペクトラムダウン症、などが言われていますが、それらは全て、心のきれいな、優しい、神に好かれる性格の持ち主と思われます。ただ心の扱いが不器用で、自分を否定してしまう傾向にあるようです。これを利用して、社会的優位に立つ管理者たちは、その健常者にはない優秀さを恐れ、精神異常者というレッテルを張り、人生の落後者にしてしまします。そして、レッテル張りは、小学生低学年から始まります。そして一度レッテルを張られてしまうと、そのことに悩み、自信を失い、人生の辛酸を味わうようになってしまいます。社会的に優位に立ち、レッテル、つまり診断を下す方々、あなたがたの愚かな診断が、子供たちの将来、そして夢、希望を奪ってしまうこと自覚し、愚かな判断は慎むよう、心がけてください。

太平洋戦争で日本の礎になった方々について考えています。

 現在の日本の礎となった方々について
思い出の内に、故郷の小学校への通学路の左側に、大きな石碑があったことを思います。それは、大変気になっていました。しかしながら、故郷から千葉に移り住みましたが、となり部落の入り口付近にあった、同じような石碑があり、それは大東亜戦争で亡くなった方々の記念碑だったようです。今住んでいる成田で、縁あってお墓を、父と二人で建立しました。そこは、共同墓地ですが、その中のお墓を見て廻っているうちに、お墓の墓標名の他に、少し大きなお墓があり、そこに刻まれている文字に、旧日本軍の階級が刻まれていました。更に、墓地内を見て廻っているうちに、海軍、陸軍の階級を順に並べて見たくなり、墓地内で、海軍少佐一人、陸軍伍長四名、陸軍上等兵二名を見つけました。そして、第二の故郷の大きな石碑が気になり始め、そこへ行きました。しかし石碑は既に無く、近くの小さな山の頂上に移されていました。しかし、石碑は削られ、小さくなっていました。そこに陸軍準尉の文字を見つけた。驚くことに、その近くに陸軍上等兵の石碑がありました。そのことを知った時、新潟の故郷の子供の時見ていた石碑が気になりだし、直ぐに、新潟へ、車で帰省しました。そして、子供のころから気になっていた石碑に、陸軍中尉の文字を見つけ、その右側に、ちょっと小さな同じ形をした石碑があり、その中に、陸軍準尉の文字を見つけた。私は、何かを得たような気がした。そして、中学の同級生に会い、話していると、その部落に同じような石碑があることを話してくれた。そして再度訪問することを決意した。数日後、再度訪れ、従妹に会い、同級生に聞いていた石碑が、その部落にある、上下二カ所の墓地のいずれかにあることが分かった。そして、従妹にそれぞれの墓地に連れていてもらい、上の墓地の石碑に、陸軍上等兵、海軍三等兵曹の文字を見つけ、下の墓地の石碑に、陸軍兵長、陸軍伍長二人、そして上等兵の文字を見つけました。まとめると、旧日本海軍は、少佐、そして三等兵曹、旧日本陸軍には、中尉、準尉二名、兵長、伍長四名、上等兵四名の総計指揮官十五名となります。そして、後日、奇跡が起こり、私の先祖の墓のある墓地の上等兵の家族の方に出会い、近所の孫の通う中学に、記念碑があることを聞き、車で訪れました。校舎には、ブラスバンドの練習の音が響いていました。インターフォンを鳴らすと、音楽の顧問が出て、記念碑まで案内して頂き、「忠魂碑」を見つけました。花を手向ました。そして、その裏側に、多数の戦没者であろう名前が刻まれていました。西南戦争での戦没者1名、日露戦争での戦没者が4名、大東亜戦争での戦没者161名でした。先に調査した戦死者と合わせて総計、176名となりました。そして、その名を刻まれた方々が、祖国を守るため、また未来の日本を夢見て、たった一つしかない尊い命を散らしてゆきました。皆さん、今の日本の現状を見てください。あまりにも身勝手に過ごす、その世界を散っていた方々が望んでいたでしょうか?散って入った方々に、顔向けできる状態にあるでしょうか?尊い命をかけてまで守るに値するでしょうか?皆様方、散っていた方々の期待に添うよう、努力しようではありませんか・・・